地方から世界へ

いわさきグループの事業理念

いわさきグループは、地域と共に発展することを念頭において、企業経営を行なっております。さまざまな事業を起こし、その土地の文化・風土を生かして発展させ、地域全体を活力あふれた魅力あるコミュニティにすることが大きな課題であり、夢でもあります。 いわさきグループのビジネスフィールドには前提や前例はありません。前提や前例がないものを自ら創造し、運輸・観光・ホテル・情報ITなど、関連事業を含めグループ間の横の連携・総合力で、さらに積極果敢に挑戦していきます。
  • 自尊と自律による、個人と地域の自助自立の実現
  • 道徳的かつ合理的な個の確立
  • 地域における公正な市民社会の実現
  • 地域ネットワークの構築によるグローバリズムへの参画と貢献
  • 個と全体の合理的な調和
  • 挑戦と創造による家業的(有人格的)経営の継承

自尊と自律による、個人と地域の自助自立の実現

地域がまた社会や国家が要請する企業・事業を行なうことを通じ、私企業としての自助に努め、経済的な自立を確保し、それによってその地域が自立し、主権を確立するころに貢献することを使命とする。一方、内にあっては、その個々人が自助・自立することにより、より高次元な自己実現欲求を追及することを可能ならしめる環境を創造することを目標とする。そのような環境において、その個々人は互いに自分と相手の人格を尊重しあうとともに、お互いに鍛錬し合い、自己を律する力を養うこととなる。 いわさきの自助自立は、その個々人が高い他尊・自尊の心と自律心、自助と自立の心を持つことによってもたらされるという視点より、いわさき人においては、道徳的で合理的な個が確立されるよう努力しなければならない。そういういわさき人は、確立した個として地域が法の精神に則った公正な社会となるべく、道徳的で合理的な一市民としての責任を能動的に果たさなければならない。

インターローカリズムとその実践

地域社会における自然権的な自尊心とその発露である自助自立の努力を尊重しなければならない。アジアが、世界が、国家というよりも地域の集合体であるという解釈の中で、そういう他尊こそが世界のアジアの平和の基礎となることを強く認識すべきである。いわさき人は、国際平和や地域環境への高い意識の中で偏見や因習より解放された開明な地球人としての役割に能動的に向き合い、世界中の異なった文化を有するそれぞれの地域社会が国家を超え、ネットワークを形成することが人類の幸福と繁栄をもたらすとの考えのもと、その実践者となるべく努力しなければならない。

個と全体の合理的調和

個と全体との調和の維持は、合理的なアプローチが為されれば必ず可能である。 確立した個の集団においては、両者が対立した場合も合理的な解決策を見いだせるとの信念が持ち続けなければならない。外にあっても内にあっても自助心や自立心のない者の一方的な要求にも屈することなく、フェアな関係を保たなければならない。時間軸への考慮においても、因習への妥協や怠慢をもって、次世代に犠牲を強いてはならない。個と次世代を含めた全体との美しい調和を実現することによって初めて高いモラルの維持が可能となる。高いモラルは、(契約に対する)誠実さや見識を養い、個と全体との一体性を強める。また、そのような環境においてのみ、全体に対する自発的貢献が期待できるのであり、いわさきの自助自立には、滅私奉公的な関係は不要である。

誇りある家業の継承

人間の営みの自然な理として、先祖代々受け継いだものを子々孫々譲り渡していくように、創業の精神が、また事業や経営資源が、そしてそれら享受される繁栄がさも家業のごとく代々継承されていくことが最も大切である。なぜなら、このような家業的な継承への責任感や誇りが、初めて個人と組織(企業)と地域の三者間において、時として対立する枠組みを未来志向にできるからである。無人格的資本の暴走を制御するため、家業的経営の継承が守られねばならない。

挑戦と創造による存続

継承すべきものは、ある瞬間に会社において為されている商売や商権自体ではなく、また組織そのものでもなく、創業からの自助・自立の精神とそれを可能せしめる有形、無形の経営資源である。よって、決して組織の自己保存的な保守性、硬直性に害されてはならない。常に、自己革新的に挑戦と創造を繰り返さねばならない。何を守り、何を引き継いでいくべきかを見間違ってはならない。 本当の意味で誇りのもてる歴史を積み重ねていくためには、どうしたら希望の持てる未来になるかが判断基準である。出来上がっているものをあえて壊す勇気をもつことや新しいことにあえて挑戦する進取的姿勢そして無からの創造に従事する喜びを感じることが継続的な隆盛のためには大切なのである。そういう意味でも、失敗を恐れる必要はない。むしろ反省と学習を怠ること、失敗を恐れて滞ることの方を問題とすべきである。

会社概要

COMPANY
会社名 岩崎産業株式会社
代表者 代表取締役  岩崎 芳太郎
設立 1922年(大正11年) ※岩崎産業の前身、岩崎商店
資本金 3,800万円
事業内容

鹿児島を拠点に、石油販売事業や指宿・種子島・屋久島でのホテル 事業などを中心としながら、南九州最大規模の公共交通網を含む約 30社のグループ企業を傘下に様々な事業を展開しています。

会社の特長

グループが有する多彩なサービスと交通網を駆使し、鹿児島の魅力 を国内外へ、地方から世界へと発信している企業です。2017年 には経済産業省より「地域未来牽引企業」に選定されました。

本社所在地 鹿児島市山下町9番5号
沿革
1902年 明治35年 5月 創業者・岩崎與八郎、鹿児島県曽於郡岩川(現 曽於市)で生まれる
1922年 大正11年 岩崎商店開業
1923年 大正12年 9月 関東大震災により大量の枕木を鉄道省に納める
1928年 昭和3年 8月 郵便逓送事業開始
1930年 昭和5年 金輸出解禁により鉱山事業を開始
1940年 昭和15年 4月 岩崎商店を岩崎産業株式会社に改組
1941年 昭和16年 12月 岩川に岩川工業学校を創立 (現 岩川高校)
※太平洋戦争 勃発
1943年 昭和18年 12月 鹿児島工業専門学校、医学専門学校の設立に寄与 (現 鹿児島大学工学部・医学部)
奄美大島の山林経営に着手
1948年 昭和23年 4月 東京 銀座にオリンピック観光(株) 設立
1951年 昭和26年 11月 銀座にオリンピックビルを新築 (終戦後東京で2番目の新築ビル)
財団法人岩崎奨学会 設立
1952年 昭和27年 5月 南薩鉄道(株) 買収
1956年 昭和31年 11月 指宿観光ホテルオープン (現 指宿いわさきホテル)
1957年 昭和32年 12月 鹿児島市に岩崎美術館を寄贈
1959年 昭和34年 2月 名物ジャングル浴場 指宿観光ホテルに完成
箱根に紅葉園をオープン
1960年 昭和35年 2月 鹿児島商船(株) 設立
1963年 昭和38年 8月 佐多岬有料道路の開通式
沖縄の観光開発に乗り出す
1964年 昭和39年 9月 南薩鉄道(株)、三州自動車(株)を合併し鹿児島交通(株) 設立
1966年 昭和41年 12月 南海郵船(株)を買収
1967年 昭和42年 11月 いぶすきゴルフクラブ開聞コースオープン
1969年 昭和44年 5月 伊豆の石廊崎ジャングルパーク、オープン
1972年 昭和47年 3月 豪州岩崎産業(株) 設立
6月 ※鹿児島~香港国際線航路 開設
10月 指宿いわさきホテルオープン
1974年 昭和49年 4月 鹿児島市とオーストラリア・パース市との姉妹都市盟約締結に寄与
1979年 昭和54年 6月 オーストラリア、キャプリコーン・イワサキ・リゾート起工式
1981年 昭和56年 11月 メキシコ、マグダレナリゾート開発計画の発表
1989年 平成元年 7月 高速艇ジェットフォイルTOPPYを種子・屋久路線に就航
1990年 平成2年 6月 コスモリゾート種子島いわさきホテル オープン
1991年 平成3年 7月 コスモリゾート種子島ゴルフクラブ オープン
1995年 平成7年 10月 屋久島いわさきホテル オープン
2001年 平成13年 10月 株式会社シーエス九州 設立 (現 インターローカルメディア株式会社)
2009年 平成21年 4月 現代ユニバースいわさき 設立
2013年 平成25年 11月 第1回白露シニアゴルフトーナメント 開催 (於 いぶすきゴルフクラブ)
いわさきグループ三代目CEO 岩崎芳太郎 鹿児島商工会議所会頭就任
2017年 平成29年  4月  種子島いわさきホテル リニューアルオープン
2019年 令和元年 7月 第87回日本プロゴルフ選手権大会 開催 (於 いぶすきゴルフクラブ)
2021年 令和3年 天文館・リバティーハウスに岩崎屋 オープン
2022年 令和4年 創業100周年
鹿児島空港に「いわさきのキッチンさつま」オープン

交通アクセス

入り口
看板
住所

〒892-0843

鹿児島市千日町15-15

リバティハウス4・5F

099-225-3338